少しずつ、このサポートも知っていただき、興味を持って参加いただける方が増えてきまして、大変有難く感じています。
それだけ、やはり『人との繋がり』や『安心できる居場所』というのは大切な役割をしている、反対にそれがないときには不安定になり得る、というのを再認識せずにはいられません。
体調を崩しきるまえに、出来る限りのサポートと人との繋がりを。
これはブレない軸として持って、コツコツとサポートを重ねていこうと思います。
さて、今回は自分の気持ちを忘れないためにも、記憶の整理。
私自身の話なので、ご関心のある方は以下ご覧ください。
今はロンドンに住んでおり、海外に住むのは2回目。
最初の海外はアメリカでした。
10年ほど前で、それまで ザ・日本人 として平凡に過ごしてきて結婚をしてすぐアメリカへ移りました。
それまでは手続きやら学業やらなんやらで大変に忙しく、不安や心配を意識する時間もなく、あれよあれよという間に渡米の日に。
家族が空港まで送りにきてくれて、涙ながらに別れ、日本に残った家族が「帰り路で携帯ゲームをしながら泣いていた」という写真が送られてきたことを今でも覚えています。
そんな笑いあり、涙ありな別れでしたが、アメリカについて、初めての海外生活がスタート。
当たり前ですが、雰囲気は違うし、屈強な警察官はいるし、なにより目に見えるもの、耳に飛び込んでくる声は全て英語。
英語が今よりももっと話せなかった私にとって、大変な衝撃でした。
そして偏った情報とイメージしか持ち合わせていなかったので、
スられないだろうか、
刺されたり、銃を持っている人もいるかも、、、
そんなイメージが湧いてきてすごく神経質になっていました。
そして到着しすぐに車の激しい衝突事故を目の当たりにしたり、空気が乾燥しているのか連日鼻血が止まらなかったりとショッキングなことが続いたことも要因ではあったように今では思います。
そして、なにより日々のお話が難しい。
夫の仕事でアメリカに渡ってきたため、日中はひとり。
その中で外に出て、買い物に行き、何かをつくる。
でもそれをするまでにカードをつくる、家のセットアップをするなど手続きも様々。
それらには必ず英語も必要。
英語を話せず、何を言っているか聞き取れず、そして聞き取れてもスラングで意味がつかめず、なんならわからない人と思われたのか、レジで通してもらったものをこっそり店員が隠して(たぶん)取ろうとされたり。
そんな時間を重ねていくにしたがって、「安心して過ごす」ことが出来ない不安や恐怖感に襲われ、だんだんと外に出るのもしんどくなり、用事のみを短時間で過ごすようになりました。
そんな毎日は本当に時間が長く、ただただ苦しくて、生きづらくて仕方がありませんでした。
まわりは出来ている人ばかりであったり、家族で渡米されているご家族も立派にすごされている方も多く、考えや視野が狭まってしまっている状態の上にさらに人と比べられてしまうことで、ますます苦しい時間をしばらく過ごしました。
心理学の知識だけは持っていたので、このままじゃ本当にまずい、少しでも外出はするようにしよう、と毎日行ったことのない場所や落ち着くことのできる場所に足を運ぶようにして過ごしていました。
そんな日々をすごしていくうちに、スーパーで会う人、新しい場所を見つけてそこでの出会いや活動、新しい日本人との出会い…と徐々に人や場所の交流を増やしていくことができ、
渡米から半年ほど経って、いつも通っている道に花が咲いていたことに気が付き「ああきれいだなあ」と思いました。
たぶん、ずっと咲いていたんです。
その後もずっといろんな花が植え替えられては綺麗に咲いていたから。
でも、半年間は、そんな足元に咲いている綺麗な花に気が付くことも出来ませんでした。
でも、ついに気が付くことが出来て「きれいだなあ」と思えた。
あのときの感動は本当に忘れられません。
言葉は上手くないけれど、なんとなく土地を理解できるようになってきて、顔見知りの人が増えて、なにより知り合いの日本人が増えて「自由にお話が出来る」ということは、私の気持ちをぐっと持ち上げてくれました。
それからはMeet upや教会など利用して英語を学び、友人をつくり、ボランティアや仕事をして『まあボチボチに』自分で自分の時間をコントロールできるようになり楽になっていきました。
2年ほどで帰国し、そこからは私も水を得た魚のようだったかもしれません。
やりたい仕事に就き心理士として勉強や仕事に没入して、子どもにも恵まれ大変に充実した時間を過ごしてきました。
そして今度はイギリス。
ギリギリまで、渡英する予定ではなかったため、驚き。
アメリカでの記憶が蘇り、漠然とした不安に襲われました。
しかも今回は小さい子どもたちもいる。
日本(家族)から離れ子どもたちを守っていけるかの不安、良い時期に仕事をあきらめなければならない辛さに葛藤していましたが、葛藤しようが渡英することになったので割り切らなければなりません。
そして渡英。
大変すぎた。大変すぎたので引っ越しについては割愛。
私自身も久しぶりの英語環境の上に、子どもも英語がわからない。
おしゃべり好きな子どもたちにとっては苦痛でやはりしばらくの間体調を崩しました。
そして、アメリカである程度覚えた英語は使わない分忘れてたり、イギリスと表現が異なっていてまたわからずに苦戦しました。
また何がどこにあるのかを知ること、手続き関係、交通機関についてなど、わからないことだらけで調べる毎日。
ただ、物価は高いし家に不具合が多すぎて大変だったこともありストレスは明らかに溜まっていったことを覚えています。
帰りたいって思うこともしばしば…たくさん…毎日…。
子どもと一緒に過ごせるアクティビティを片っ端から調べ、教会や公園などに行っては気分転換しつつ、出会った人と少し会話をしたり、子育てではどのような英語が使われるのか公園で聞こえる会話を盗み聞き(ゴメンナサイ)したり…。
不思議ですね、私は【子どもがいると思うと、自分がしっかりせなと奮い立たせられる性格のようだ】と気づくことが出来ました。
学校の制度などは純日本人の私にとってはとても理解が難しく、またWhat's appという日本でいうLINEのようなアプリが学級でも仕事でもなんでも用いられて毎日ものすごい量のやりとりがあってフォローしきれないなど、未だにうまく適応しきれていないところもあります。
ただ、子どもが慣れてくる、学校に行って日中自分の時間が取れるようになってくると、そこでまた外出をして何がどこにあるかを知ったり、文化を発見したり、勉強したりとできるようになりました。
そしてアメリカでの経験や子どもがいるということから、私自身もタフになったのか心臓に毛が生えているのか、言葉が上手じゃなくても話してみる、声をかけてみる、どこかに赴いてみることへのハードルがさがったようにおもいます。
そして何より、「安心できる」ことと「人との繋がり」は大切であることを知識だけでなく実体験としても学んだから。自分や自分の周りの人のメンタルヘルスのためにも行動しよう、と一歩を踏み出してみるようになった気がしています。
安心できない、話せる人がいない、大変な苦労をしているけれどそれを話せる人がいない…
そういった状況は本当に辛く苦しいです。
そして、負のループに入っていきかねません。
ループを断ち切るために、よりよく自分の人生を過ごしていくために、
自分にとっての「安心」と「人との繋がり」というのを発見し、それを大切にしていきたい。
孤独感の中で体調を崩しきるまえに、困難に直面しても乗り越え、回復していって自分の人生の舵を取れるようでいたい。
そんな思いでサポート活動をちょこちょことしています。
どうかおひとりで悩まれず、ここでも、ここじゃないところでも、ぜひSOSを出してみてくださいね。
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