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わからない行動の奥にあるもの ― 二つのまなざしで人を見るということ

  • 執筆者の写真: popo
    popo
  • 17 時間前
  • 読了時間: 5分

誰かに「理解が難しい」「なんでだろう」と感じる行動があるなと思ったことはありますか?

あるいは、ご自身について、そんな行動をしているのではないか、そんな行動をしてしまっている気がすると感じられるようなことはあるでしょうか。


ずっと寝ている、お酒をたくさん飲んで人・行動が変わる、ゲームに没頭する、避ける、リストカットをする、人に冷たく当たってしまう……。

それらの表面だけを切り取って見れば「よくないこと」「問題行動」と言われてしまいやすい姿です。

誤解を招きやすい言葉やその印象のそこだけ切り取られて、ときに差別や偏見が助長されることがある様子を感じては悔しい思いをすることは、臨床をしている中で決して少なくありません。

ときに人から理解を得られづらかったり、怠けている、甘えているといった見方をされることもしばしば生じていることを理解しています。


ですが、こういった行動は、誰もが人生のどこかで経験しうる“人間らしい反応”でもあります。それをしたら、もうダメだ、ということでは決してありません。


こうした行動の裏側には、その人が必死に守ろうとしている何かが存在していることは、決して少なくありません。

言葉にできない苦しみ、積み重なった我慢、孤独、恥、傷つきやすさ。

それらが重なったとき、人は「いま持っている中で一番なんとかできる方法」を選ぶことがあります。

選択したその行動が、最適解かどうかはわかりませんし、誰かにとっては理解しがたかったり不器用に感じられるかもしれません。

それでも、”本人”にとっては、その時、その環境の中を生きる本人が出来る限りの、最大で最終的な選択肢である可能性があることを、どうか忘れないでほしいのです。

そして、切り取られた、その瞬間だけですべてを分かったつもりになって、その”人”のことを責めたり、烙印を押すようなことになってしまわないよう、ぜひ注意深く気を付けてみていただけたらと心から願います。



行動は責めても苦しみは見失わない ― 二つのまなざし

大前提として、こうした視点を持つことは、「危険な行動を肯定する」という意味ではありません。

暴力や虐待、犯罪行為は、誰かを傷つけ、場合によっては法的にも社会的にも重大な結果をもたらします。そのことを軽視したり、曖昧にしたりしてはならないと思います。


でも同時に、その行動の背景にある苦しみを見失わないことも、とても大切です。

こういったことを防ぐためのサポート、支援に繋がること、サポート制度の充実なども非常に大切だと考えます。

「やめなさい」「そんなことしてはいけない」などと行動だけを矯正しようとすると、人はますます追い込まれ、不信感を高め、口を閉ざし、恥を深め、孤立していきかねません。


臨床心理学やメンタルヘルスの世界では、この二つを同時に大切にする姿勢を「二重のまなざし」と呼ぶことがあります。


① 行為の危険性・責任を正しく評価するまなざし(安全・境界)

  • その行動の危険度合い

  • 自分や誰かを傷つけていないか

  • 法的責任や安全確保は必要か


これは、本人の回復を支えるためにも欠かせない視点です。


② 行動の奥にある苦しみを想像するまなざし(理解・共感)

  • その行動を選ばざるを得ないほど追い詰められていたのかもしれない

  • 他に方法がなかったのかもしれない

  • それは、その人なりの“生き延びるための工夫”だったのかもしれない


この理解は、本人を責めるのではなく、“その人がどうしてこのような道を歩んできたのか””どのようにここまで来たのか””なにを守っているのだろう”といったことを理解し、その人本人を優しく照らしていくためのものです。



行動と人を切り分けることが、回復のはじまり

ある行動に好ましくない部分があったとしても、それはその人自体が好ましくないと決めつけられることではありません。

一時的に、あるいはいろんな背景事情から、結果としてその行動をする以外選択肢がなかったのかもしれないのですから。

行動に責任があること」と「人としての苦しみを理解すること」は、矛盾しません。

ある行動が誰かや何かを傷つけてしまったり、影響を与えてしまったときには、そのことに対して向き合い、時に謝ったり、償ったりとする必要は生じてくるでしょう。

一方で、”良くない””問題”と見えるその行動は、その人が悪だ、悪いと決めつけられるものではありません。

ほんの一部にだけ焦点を当ててもその人の全体は見えず、なぜその行動をしたのか、どんな思いがあったのかを理解できません。


この二つを併せ持つことで、回復や変化につながる道が開けていきます。

行動だけを責めても、苦しみだけに寄り添っても、変化はなかなか生まれません。

でも、安全と境界を大切にしながら、その行動が果たしていた役割を一緒に見つめることができたとき、人は少しずつ「別の選択肢」を持てるようになっていきます。


カウンセリングでは、この二つを一緒に扱うことができます

わからない、理解しがたいような行動があったとき、「悪いもの」と切り捨てるのでもなく、「仕方ないもの」と正当化するのでもなく、

その背景にある苦しみと、これから必要な安全や境界とを、丁寧に並べて見つめ直す。

カウンセリングは、そのための安全な場所です。


周りの人も、「どうしてだろう?」という視点を一つ持つだけで、関わり方や声のかけ方が少し変わることがあります。その変化が、誰かの苦しみにそっと寄り添う一歩になるかもしれません。


おわりに ― やさしい視点は、自分自身にも向けられる

他の誰かに向けたこの視点は、実は自分自身にも向けられます。

「なぜ私は、あのときあんな行動をしたんだろう」

「どうしてあれしか選べなかったんだろう」

それもまた、そのときの自分が必死に守ろうとしていた何かがあったからかもしれませんね。

行動を責めるのではなく、背景をそっと照らしてみること。

それは、自分自身や誰かを大切にする第一歩でもあります。


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