SNSで吐き出すことと、守られた空間で語ること
- popo

- 1月19日
- 読了時間: 7分
〇顔の見える誰かに、寄りかかるということ
SNSは無料で手ごろで身近なツールとなっていて素晴らしい側面があります。
誰かに聞いてほしくて、つらい気持ちのやっとの吐き出し場所として、SNSに気持ちや言葉を吐き出してみる。
ときに同じような人からの慰めの言葉、共感の反応、アドバイスなどを求めて…。
そんなご経験をお持ちの方もきっと少なくないでしょう。
身近だからこそ手軽に利用しやすく、「ひとりじゃない」と感じられることもあり、心が軽くなるような、喜びがわいてくるような、そんな瞬間もある。
確かにSNSにはそんな側面が存在していると思います。
しかし、一方で誰かと”つながっている”はずなのに、満たされない、なにかが足りない、満たされた感じが持続しない…。
そういった感覚を抱いたことのある方もまた、少なくないだろうと思います。
SNSで気持ちを吐き出すことと、実際に存在を感じる特定の相手、顔の見える誰かに気持ちを預けることは、似ているようで、心の中で起きていることは大きく違います。
今回はSNSと存在を感じる人とのつながりの違いについて書いてみたいと思います。
〇SNSが「短期的な救い」になる理由
心理学の研究でも、人はつらい体験を「言葉にして外に出す」ことで、感情を調整しようとすることが知られています。
・誰かが反応してくれる
・共感の言葉をもらえる
・つらさが「存在していい」と認められる
こうした体験は、今この瞬間を耐えるための小さな救いになることがあります。
特に、孤立しているとき、身近な人には話せない事情があるとき、SNSは「最もつながりやすい世界」となることもあります。
しかしSNSに書いた後に、
・少し楽になったけど虚しさ(空虚感)が残る
・わかってもらえたような気がしたけど、その感覚が続かない
・また同じようにつらくなったり、同じようなことを書いたりしてしまう
そんな循環に気が付かれる方もまた少なくないように感じています。
一体これはどうしてなのでしょうか。
①見られても、「抱えられない」感情
SNSでは、気持ちは「見られる」ことはあっても、一緒に抱えてもらうことは、ほとんどありません。
臨床心理学では、つらい感情を誰かが受け止め、保ち、少しずつ消化を助けていくことを大切にします。
けれどSNSでは、
誰がどんな思いで反応しているのか分からない
関係は続かない
文脈が共有されない
そのため、感情は外に出ても、行き場を失ったまま戻ってきてしまうことが多いのです。
②守られていない空間である、ということ
SNSは、不特定多数の人が見る場所ですね。
見てほしい人、こんな反応があるといいなと期待することとは異なる結果が返ってくることもあります。
そうすると、
・思いがけず否定される
・正論や理屈で返される
・悪意なく、でも深く傷つく言葉を受け取る
…などのリスクが、常にあるのです。
心が本当にしんどいときほど、「安全かどうか分からない場所」で語ることは、新たな傷を生む危険もあることを忘れてはならないでしょう。
それでも、SNSにつらい思いを書く方は少なくありません。
それは確かに心強い言葉を受けたことがあったり、自分にとって良いものだけ上手に取り入れられている方ももちろんいらっしゃると思いますが、
・今すぐ誰かとつながりたい
・一人では抱えきれない
・それでも身近に話せる人がいない、思いつかない
そんな切羽詰まった現実の中にいる、切実な願いと選択でもあるのでしょう。
つまり、誰か個人が問題というよりも、「安心して吐き出せる場所、人とつながれる場所が少ない社会」という構造(システム)に問題があるのかもしれませんね。
〇守られた場で話す、ということ
本当に人の心が回復していくためには、
・否定されない
・評価されない
・急がされない
・継続して関わってもらえる
そんな「枠」のある場が必要です。
そこはどんな間違いも、あいまいさも、矛盾も、後悔も、怒りも、悲しみも…
どんな揺れるような思いも思い切って吐き出してみてもいい場所です。
そこで初めて、
・つらさが言葉になり
・誰かに受け止められ
・少し意味づけされ
・自分の中に戻っていく
というプロセスが起こります。
吐き出せる、そして吐き出したものを受け止めてくれる、、その深いラリーを行えるような場所ですね。
SNSは今をしのぐための短期的な救いとなることがありますが、心が変化していく、安心してもやもやが晴れていくような場所とはなりにくい性質があります。
その違いを知っているだけでも、自分自身を守る選択がしやすくなるのではないでしょうか。
〇顔が見える、存在を感じる他者とのつながりの性質
顔の見える関係には、
相手の息づかい
声のトーン
表情
間(沈黙)
言葉にならない反応
などがあります。
これらは非言語的(ノンバーバル)メッセージをも呼ばれます。
人間はコミュニケーションをとる中で、この言葉以外からのメッセージもたくさん伝え合い、それを受け取りあっています。コミュニケーションをとるうえで、とても大切な要素です。
そしてそれらは、「あなたのつらさを、私は今ここで受け取っている」というメッセージを、言葉以上に伝えます。
私たちは、自分の中のつらさを誰かの心に一時的に抱えてもらうことで、落ち着くことができる性質も持っていて、それは、『強くなること』『自分で解決すること』という意味では決してではなく、誰かに寄りかかる(心を預ける)勇気でもあるのです。
つらさが大きいとき、心は揺れやすくなり一人で抱えることが難しくなります。
それはつらいとき、誰にでも起こる正常な人間の心の働きでもあります。
そんなときに必要なのは、『正しい答え』『前向きな言葉』『励まし』ではなく、
揺らいだままでも、ここにいていいその状態を、誰かが一緒に持ってくれる
という体験です。
SNSでは、それがどうしても起こりづらい性質がある。
一方で、顔の見える誰かとの関係では、
すぐに解決しなくても
話がまとまらなくても
何度同じことを話しても
「関係が続く」という安心があります。
それが、心が少しずつ自分の形を取り戻していく土台になります。
〇寄りかかることは、弱さや依存ではありません
「誰かに寄りかかるのは、弱いこと」「迷惑をかけてはいけない」
そう思って、ひとりで耐えてきた人ほど、SNSという距離のある場所を選びやすいのかもしれません。
でも、心理学的に見ると、
安全な依存先ができることこそが、自立の前提なのです。
寄りかかれる相手がいる人ほど、また自分の足で立ち直っていける。
これは、子どもだけでなく、大人の心にも当てはまります。
とても大切なことなのでもう一度言わせてください。
誰かに頼ること、甘えること、助けを求めたり、依存をすることは、とても大切なスキルであり、決して間違いでも、恥ずべきことではありません。
また自分で歩き出していくために必要な力にもつながっていくのです。
SNSの外に、もうひとつの選択肢を
SNSが悪いわけではありません。命綱になる瞬間も、確かにある。
ただ、もし可能なら、
一人でもいい
完璧じゃなくていい
専門家でも、友人でもいい
顔の見える誰かを、人生の中に持っていてほしい。
勇気を出して、少しだけ寄りかかってみる。うまく話せなくても、そのままで。
それは、自分の弱さを晒し出すことではなく、自分を大切に扱う選択です。
人は、本当はひとりで立ち続けるようにはできていません。
揺らぐときがあっていい。崩れそうなときがあっていい。
その揺らぎを、
評価されず
急がされず
否定されず
一時的に置いておける場所が、現実の世界にあること。
それが、これからを生きる私たちに不可欠な、SNSでは埋められない、人と人とのつながりの力なのだと思います。



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