心のケアと安心できる場所
- popo
- Aug 25
- 4 min read
日常のなかで、ふと胸に重くのしかかる「悩みごと」。
それは私たちの生活の中にある、仕事や人間関係、生活の変化といった心理社会的なストレスから生まれることが多いものです。こういった心理社会的なストレスは、日々のあらゆるところに存在しており、生活の中で静かに積み重なっていき、そのひとつひとつの悩みは心にできた小さな傷のようなものとして残ってしまうことがあります。
こういったストレスは誰でもある程度日常的に経験するものではありますが、そういった傷がたくさん積み重なったり、深くなったりすると、あるいはうまく対処が追い付かないような場合などには、強い不安感や恐怖感、体の不調などとした形で現れてくることがあります。
そうして程度が深くなってくると、日常生活に支障をきたし、神経症やうつ病といった診断につながることもあります。そのときには専門的な治療が必要になってきます。
子どもの場合はどうでしょうか。
子どもは感情の動きがとても速く、大泣きしたかと思えば、すぐに笑顔で友達と遊ぶこともあります。だからこそ、そういった子どもの姿が大人の目には「元気だね」「大丈夫そうだ」と映ってしまうことがあります。
けれど、それは決して受けた心の傷が消えたというわけではない場合もあることを知っておく必要があります。
傷つかなかった、忘れてしまったのではなく、他の感情や状況の陰に隠れて見えづらくなってしまっていることも少なくありません。
幼いころに受けた傷は、十分なケアの叶わないまま、隠れたまま癒えることなく残ってしまうことがあり、大人になってから「生きづらさ」として表れてくることがあります。
大人も同じです。外から見て元気そうに見えても、それはその人がなにも悩んでいない、大丈夫という印ではなく、実は胸の内に痛みや傷を抱えられながら、それを隠し、見せないようにしながら過ごしているのかもしれません。
それは診断名のつかないような、けれども確かにある傷やトゲとして、まるで熾火のように存在し続けることもあります。
楽しめなさ、理解してもらえない感じ、孤独感、苦しさ、眠れなさ、集中の難しさ…
こういった感覚は「病気」としての診断となるには難しく、治療に繋がりにくい性質をはらんでいます。
それでも私たちは、心の傷を抱えていても、日々の生活の中で少しずつ和らげていくことができます。
私たちは誰でも回復していこうとする力を持っています。
私にはこの力が本当に素晴らしく感じられており、その姿を目の当たりにするたびに人のすばらしさを再認識せずにはいられないのです。
適切なケアや安心できる関わりをもつことで、しなやかに立ち直っていく力を私たちは秘めているのです。
大切なのは、「頑張っていないからだ」と責めるのではなく、その傷にやさしく気づいてあげること。そして、心のケアを特別なものではなく、日常に溶かし込んでいくことだと考えます。
傷を負った人、回復へ歩みだしている人に、私は心からの敬意を表したい。
そのひとつひとつには努力と物語があり、比べられない痛みがあります。
その方だけの物語があります。
声に出せる人もいれば、静かに抱えている人もいます。
どちらにも同じだけの尊さがあります。
ひたすらに理解しようと努め、ときに「わからない」ままそばにいること。
これらは大げさな支援ではないけれど、確かな支えになることがたくさんあることを知っています。
だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶ。
休むことを、どうか恥ずかしがらないで。
今日は一歩でも、明日は半歩でも。それで大丈夫。
私が目指したいのは、そんな場所です。辛いときに「ここがある」と思っていただける場所。安心して立ち寄れて、少し呼吸を整えられる場所。
心のサインを大切に汲み取って、責めるのではなく回復を支える優しい環境を整える。
心のケアを日常のなかで体験できるような、そんな小さな居場所をこれからもつくっていきたいと考えています。
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