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褒めるとき、叱るとき、気をつけたいこと

Updated: Dec 4, 2024

前回の認められたい気持ち(承認欲求)についてとも少し関係してくるかと思いますが、ここ最近「叱らない」「ほめて伸ばす」ということがたくさん述べられ、”自尊心”や”自己肯定感”、”承認欲求”について気を付け、意識される方が増えているように感じられております。


相手の自由を尊重し、たくさんほめることで”自尊心””自己肯定感”を育もうと努められたり、怒らないように気を付けていらっしゃる方もたくさんいらっしゃることを、私自身の生活のなかのみならず、臨床場面でも見かける頻度が増えているように感じられています。


けれど、そのなかで「相手(子ども)が自信満々で天狗のようになっている」「傲慢なところがある」などと述べられる方の表情は大変困り果てており、疲れ切っていらっしゃるように見えることもしばしばあります。


これはどういうことでしょうか。


*言葉の影響


子どもや相手をたくさん褒めようとするその姿勢は大変素晴らしく、相手の行動を強化させて気持ちの面でも自尊心を育んでいくために大切なアプローチであるという考えにおいて、私も大賛成です。


ですが、なんでもただ褒めればいいというわけでもありません。


例えば、子どもが100点のテストを持って帰ってきたとします。そのときどのように声をかけるでしょうか?


「すごいね!」

「頑張ったね!」

「いっぱい勉強したね!」

「偉いね!」

「かっこいい!」

「あなたには簡単だよね!」

「100点当たり前だね、次も取っておいで!」


…などなど。


同じ状況でも、人によってどのように声をかけるかは様々です。

どうしてこんなにも声掛けはさまざまなのでしょうか?

それは、ある状況についてどのように感じ、考えるかは、その人がどのようなバックグラウンドを持ち、どのような考えの中で生きて生きたかなどに影響を受け、異なるためです。


そのため、言葉にはどうしてもその人の考えや感情が乗ってしまうことがよく起こります。


そして、聴き手はそれを敏感に感じます。


なので、選ばれた「褒め言葉」の中には、褒める以上に言葉を発する人の考えや気持ちがのっかったり、あるいは聴き手によっては聴き手ならではの感じ方が影響して、予期せぬ受け取り方をすることもあります。


*何をどう伝えるか


100点を取ったときにもらった褒め言葉は、100点じゃなかった時はどんな言葉になるでしょうか。


裏返しの意味が予期せずともなってしまうことがあることを理解しておくことは、とても大切なことだと考えます。


例えば「偉いね!」とほめられたとする。


褒められた相手はもちろん喜びますが、100点じゃなかった時には「偉くない」と自信を無くしてしまうかもしれない。


あるいは「あなたには簡単だよね!」とほめられたとする。


褒められた相手は自分は出来るんだという気持ちを強めるかもしれませんが、一方で100点ではなかった人に「自分には簡単だった」「自分は100点だった」という表現をしたりできない人を下に見てしまうような表現がなされるかもしれません。


じゃあそうすればいいんだ、という気持ちにもなってしまいそうですが、正解不正解のあることではなく、何事にもコインのように表裏があることを理解しておくことが大切であることを強調したく考えています。


そのため、自分が大切にしたいことはなにか、伝えたいことは何か、それをしっかりと意識しておくと、どのような声掛けをするかの方向性も定まってくるでしょう。


また、自尊心を高めることを目指すとき、結果を褒めるのではなく「プロセス」や「努力」を褒めることが大切と考えられていますので、点数が何であれ、本人のプロセスについて、褒められるポイントをしっかりと伝えてあげるというのは効果が期待できそうですね。


*叱ることの大切さ


叱ることについて慎重に考える方がたくさんいらっしゃることは、本当に素晴らしく、相手のメンタルヘルスや成長について真剣に考慮されている側面とも理解できますね。


本当に大切なポイントだと思いますので、叱ることに慎重になるお気持ちはぜひ大切にされてよいことではと存じます。


けれど、それは「叱ってはいけない」とは同義ではないことも強調させていただきたく考えます。


専門家の間でも意見にバラつきはみられるところですが、、、


これまでの学びと臨床などから得た理解を総合して考えたときに、叱らないというのはさまざまなリスクが伴う可能性があります。


人は誰でも過ちを犯すものです。人だからこそ生じる失敗や勘違いなどはどの場面でも起こりえます。


その時に、必要なことは指摘をして注意したり、叱ったりすることは大切です。


叱ることがなぜ大切かというと、


逆説的ですが『相手を大切に思うからこそ叱る=相手の愛情を感じることができる』という側面を持っているからです。


そして、叱られるという嫌悪的な刺激は生きていく中で避けては通れません。


相手が何を不快に思うか、社会性を身につけていく中で、この『叱られる』という体験は叱られた内容以上に多くの学びを得る可能性があります。


そして、相手が不快な、嫌な思いを表現しても良い自由を認めます。


誰だって不快に感じられる、怒りを感じるとはあります。


ですが、怒ってはいけないと思うと、その感じた怒りを抑え込まなくてはなりません。


でも、怒りは抑え込んで鎮火できるわけではなく、発散されなかった怒りはやがてどこかで大爆発を起こすかもしれません。


そうすると、普段叱ったりしない人が急に怒って相手を驚かせたり、必要以上に怒ってしまったりするリスクもあります。


不快な気持ちは伝えて良い、よくないと判断されることに関してはそれを伝えて良い=注意や叱っても良い、ということです。


もちろん、嫌な時に怒り散らしたり、すぐ怒鳴ってしまったりするのは相手に恐怖を植え付けてしまいなにに怒っているかが伝わらない可能性も生じるため賢明ではありません。


なにがどのように不快なのか、なにがいけないのか、どうすると良いか、別の方法にはどんなものがあるか、などわかりやすく伝える、という観点から注意・叱ってみるとより伝わりやすくなるかもしれませんね。


*自分も相手も大切に


アンガーマネージメントやコミュニケーションスキルなどでもよく言われることですが、

自分も他の人も、それぞれの考えや感情があり、そのひとつひとつは尊重されるものです。


なので、自分が我慢すればいい、相手がOKならいい、というものではなく、相手も自分もOKとなるような、お互いを大切にできる表現を見つけていくことはとても大切です。


見つけていく中での失敗は生じ得るものですから、失敗を繰り返しながら「これかな」と思えるものを見つけていけるといいですね。


伝えたいことを、伝えたいように相手に伝わるように言葉を見直してみるのも、自分の再発見にも繋がって楽しいかもしれませんよ。

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