あなたの人生は、あなたのもの。
- popo
- Jan 13
- 3 min read
自分は何のために生きているのか。
何をしたいのか、何が楽しいのか、何が生きがいなのか…
気がつけば周りになにかを決められて、それに従っているように感じられたり、
本意ではない活動をさせられているように感じたり、
苦しさや悲しさに歯を食いしばりながら懸命に時間を過ごしていたり…。
そんなとき、「私はいったい何のために生きているのか」と考えてしまうことがあります。
この世に生きていてはいけない人はいない、という言葉をよく見聞きしますが、これについては私も賛成です。
いかなる人も、大切で、尊重されるべき一人の命です。
それぞれの考え方や価値観があります。
誰かと違うことは当たり前の、その人ならではの自然なものです。
けれど、何かの折に大切にされていない、尊重されていないように感じられることで、私たちは傷ついたり心を閉ざしたりしてしまうことがあります。
日常生活の中で、あるいはときに医療の中でも、相手の思いとは反することを伝えてしまったり、アドバイスをしてしまうといったことが生じます。
これは決して相手を傷つけようとしているわけではなく、100%の善意であることも多いのですが、結果的に相手にとっては「わかってもらえない」とか「人に決定された」こととなると、それはその人にとって傷つき体験になったり自分で決定したという責任や自信を抱きづらくなってしまうといった事態を招いてしまうことも少なくありません。
たとえば、ある男性患者さんの場合、経済的に困窮していましたが、どうしても生活を便利にしたいという思いから、周囲の友人やその男性に関わる支援者に「バイクを買いたい」と話していました。
しかし、周囲は経済的な難しさや本人の体調等を心配して「バイクは買わない方がいい」とアドバイスをしました。
周囲のそのアドバイスは確かによく理解はできるものでしたが、男性ご本人の立場で考えたときに、
想いに寄り添ってもらえなかった
考えをちゃんと聞いてもらえなかった
やりたいことを否定された
という記憶として残ったのです。
また、別の例では、大切な人の最期を迎える際、どこで最期を迎えるか、あるいはどのように迎えたいか、という希望は人それぞれことなるものです。
そしてその希望は、去り行くご本人と、周りとの意見が異なることもあります。
いろんな最期がありますが…
そうですね…
ご本人の希望する最期を迎えられた際には、ご本人も周囲も納得しやりきった表情をされるものだなあ、と感じられたことがあります。
私はそんな様子に「こんな最期は素敵だなあ」と感じられてしまいました。
やりたくないことをしたり、我慢をしたり、ときに誰かのアドバイスを受けたりすることは誰にでもいつでも起こりえることですが、何かを決断するとき「自分が決める」「自分で決める」ということは、その後の自分の責任の持ち方や、人生の舵をとれている感覚に影響を及ぼすのではないでしょうか。
一次的に舵がとりづらくなることもあるかもしれません。
そんなときこそ、信頼できる人や、カウンセリングなどの専門機関を頼って、また自分で自分の人生の舵をとる体勢を整え直してもいいですね。
あなたの人生はあなたのもの。
私の人生は私のもの。
もし、決められている感じ、人生の舵をとれていない感じがあるのであれば、今一度、立ち止まって今の自分を振り返ってみてもいいのかもしれません。
自分が求めていることは何か?
相手が求めていることは何か?
困難なことがあっても、それについて考え、悩む時間も、どのように前へ進んで行くかも、進んで行き方も、あなた自身で納得して決断していけますように。
あなたの幸せや自由を、あなた自身で見つけ大切にできますように。
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