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相手の世界を感じること

Updated: Jan 11


これまでの臨床の中でスタッフさんに「どうして患者さんはpopoさんの話をきくのか」と問われ驚いたことがときどきありました。


とりわけ特別なことをしているだとか、自分の臨床に自信を持っているとか、そんなことはなく、むしろ日々「わからないなあ」「むずかしいなあ」と思うことばかりだったので、予想外のお言葉を頂き、スタッフさんの言葉に驚き不思議に感じられ、考えさせられたことを記憶しています。


そうしてきっかけを頂いて考える中で、臨床の中での大切な気づきがありました。


ひとつの経験ということで、大した内容ではないかもしれませんが、臨床に携わる方にとって、あるいは障害の有無に関係なく相手のことを理解しようとする誰かにとって、なにかヒントになることを願って、経験を残しておきたいと思います。




誰かある人について「どう思っているんだろう」とか「なにを考えているのかな」などと考えたことのある方はきっと少なくないのではないでしょうか。


あるいは、臨床においては専門職の方の中には、それぞれの患者さん、クライアントさんの治療方針に則って支援をされる際に、「こんな風になっていけたらな」「こういう風にしできたらな」とイメージされることもあるかもしれません。


ただ、こういった考えや期待というのは、自分が抱いているそれと同等の温度感をもって相手に伝わる・伝えることはなかなか難しく、そしてそれに対するレスポンスも期待通りにいかないことの方が圧倒的に多いだろうと思います。


それは自分ではない他者のことですから、無理もなく当たり前のことでもあります。


なので、なにか相手の言動が「なんか思い通りにいかない」と感じられるようなときには、それはきっと然るべきことでしょうし、相手や自分に一方的な非があるというわけでもなく、まだそこのギャップを埋めるための余地が隠れているということなのかもしれません。


「相手の思いに寄り添う」という言葉は聞きなれたフレーズかもしれませんが、このことをどれくらい実際に実行することが出来ているでしょうか。


「寄り添う」というのはどういうことでしょうか。




大きく内容が歪まない程度に私の臨床のエピソードを一部編集して以下に例として挙げてみます。


ある統合失調症の患者さんへの治療と支援の中で、医療職の方々から「妄想があって話がうまく通じない」「行動変容が難しい」というようなお話を伺うことがありました。


たしかに、統合失調症をもつ方の中には、その方ならではの妄想を持っている方もいらっしゃり、妄想や幻聴ゆえの行動もあり、それはなかなか変えずらいものではあるのでそういったところの難しさが生じているのだろうと考えられます。


そして医療職の方々に、うまく話が通じないというのはどういうことか、行動変容はなにを目指しているのかについて聞いていくと、たとえば「社会生活を目指していくうえで自己管理についてある点についてクリアできるようになってほしい」とか「○○という行動が支援の中で弊害になっていてなんとか変容させたい」など、次第に考えとその医療職の方々がぶつかっている壁が見えてくるのですね。


そして、実際にどのように対応しているかを観察してみたときに、「○○の練習をしてみませんか」「○○してみませんか」「△△をするのはどうでしょう」など、たくさん工夫を重ねられさまざまな表現で伝えてみられている姿を拝見しました。


工夫をしているけれども、相手にはその医療職の方の思いや意図するところは伝わらず、変化が生じない、あるいは玉砕して自信を失ってしまう、という姿が見えることもありました。


そして観察する中で私は「なるほどそうか」と気が付いたことがありました。


それは、医療職の方々の「相手の世界の捉え方」でした。


大切なことなのであえて強調しておきたいのですが、決してその医療職の方が不出来であったわけでも、怠慢であったわけでもありません。


なんとかできないかと考え、工夫し、尽力され、困ったときには同僚に支援について相談をしながら臨床に取り組まれる熱心な方です。


熱心であるからといって、いつも臨床がうまくいくという訳でもないのが難しいところ。


臨床場面でなくても、そしてもちろん私自身にも、一生懸命にやっているのに、ときに人に相談しているのに、相手のことがよくわからない、難しく感じられるというようなことは誰にでも起こり得ることだと思います。


さて、そしてこの「相手の世界の捉え方」ですが、相手が何を考え、どんな世界を生きて、どんなものが見えているのか、感じられているのか、これをよく観察してみることはとても大切です。


人は誰でも、全く同じ景色を見ていても、感じ方、見え方などは異なるというのですから実に興味深いものです。


統合失調症の患者さんの中には、妄想や幻聴を抱かれる方もおられます。


「妄想」というのは、学問的には


不十分な根拠に基づく不合理で反証可能な内容であっても強い確信性をもつ、訂正不能な揺るぎない信念


のことなのですね。


つまり、傍から見たら「そんなのありえない」と思うようなことを、妄想を持つ方は本気で信じている、その世界で生きている、ということ。


なので、「妄想」という言葉には、相手の世界を否定するようなニュアンスをはらんでいるので、私が説明するときには「見えて感じている世界が異なる」「見え方や感じ方に本人ならではの世界観を持っている」ということを強調してお伝えするようにしています。


特に私は恩師の受け売りもありますが、相手の世界観を「味わって」と表現しています。


それらの世界観や信念は、その方のこれまでの経験や、ふと触れた刺激といったものが影響し合って構成され、なによりもそれがその方が生きている、体験している世界なのです。


医療職の方々のアプローチを見ていた時に、どこか「妄想を言っている」と線を引いておられるように感じることがありました。


つまり、相手の世界観を起こりえない信念として味わいきれていないような状況のようでした。


なので、どのようにアプローチをしていくかを考えたとき、妄想を厄介に感じられてしまうと支援が大変なものに感じられやすくなるリスクがあるため、その方の世界観を最大限活用して、支援とすり合わせる、言葉がけを考えてみることを提案しています。


実際、今回の例の患者さんとお話をした際、ご本人の世界観を受けた言葉がけをしてみたところ、その方も「そうか」と理解され、新しい(目標とされていた)行動を獲得することができており、医療職の方も安堵されていました。




私たち自身の見ている現実や世界は、誰かにとっては非現実的の可能性もあります。


自分の見えている世界、苦しみ、景色を伝えたとき、それを『そんなはずはない』と否定され軽く扱われたとしたら…どうでしょうか。


妄想の世界が正しいか正しくないか、ということは、支援においてあまり重要ではなく、むしろ目の前の人がどんな世界を生きているか、どんな景色が見えているのか、ということに着目して対応をしてみることで、新しい道筋が見えてくるかもしれません。


本記事では統合失調症の患者さんの例を用いましたが、基本的な姿勢というものは、障害の有無にかかわらず、相手が誰であろうと、共通する部分は多いかと考えます。


相手の世界観を味わうこと、感じること、知ろうとすること、


こういった姿勢に相手に「寄り添う」といった意味が含まれるのではないかなあ、と考えます。


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