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情報のもっともらしさ?心の問題を考えるときに気をつけたいこと

職業柄さまざまなお話を教えていただくことがあり、その中で一定数共通したお悩みやお考えをお知らせ頂くことがあります。


そして、それらはみなさんを真剣に考えさせつつ、(たぶん)悪気なくちょっと違う方向へ導いてしまっていることも多いように感じられることがあります。


そんな内容について、ちょっとだけシェアしたいと思います。


*以下の登場人物、内容は架空のもので特定の人物を指していません。経験に基づいて例を作っています。


Aさんは自身のお子さんの発達について不安を抱いておられ、「言葉が遅いのではないか」「他の子よりも理解が遅いのではないか」といった考えに苛まれておられました。


そして子どもに該当する症状や状態を検索し、ヒットするサイトを確認たり、障害の診断基準(項目)のようなものにいくつ当てはまるかなどを見てみては、これかもしれない、と思ってさらに調べたり、その中で紹介されていたアドバイスを試したりされていました。


それでも子どもは変わらない、あるいは良くなる気配もなくむしろときどき疲れているようにさえ見えることも。


そんなご不安や重ねてこられた努力の時間をお知らせくださり、途方に暮れたお気持ち、心配な思いなどをお話しくださいました―――。



このようなケースは少なくない印象です。


自分自身のこと、自分の大切な誰か(パートナー、子ども、親、友人など)のこと、気になることを身近で便利なネットで検索すると、それに関連する結果が導き出されますね。


とても手軽で便利だなあと思う一方で、情報が多すぎるあまりそれぞれの情報の確かさというのが微妙なことも少なくありません。


上記のようなケースの際、たとえばどのようなサイトを参考にされたか教えていただいたり、実際に見せていただいたときには、


・専門サイト

・当事者の経験ブログ

・心理学系(?)のコラム

・SNS

・YouTube

・心理学系・自己啓発の本


などを参考にされていらっしゃる方が多いようでした。


どれもそれぞれの思いや方針から書き上げられた文章で、説得力や訴えかける力が感じられるところがあるように感じられます。


なのですが、よくよく見ると、たとえば参考文献が共通していたり、ちょっと記事内容が古かったり、個人の意見や印象であったりするものが多く、また新しい文章を作る際に、同様の既存記事を参考に作られることもあるようなんですね。


そうなってくると、ある記事の内容の確からしさや、【他の記事にも書いてあった】と感じられ何人かから同じ意見をもらって確証に近い感覚を得たと思ったら、実は同じ文献を参考にしていた記事だった、ということもあります。


そしてなにより、心理学のサイトや本、ときには論文を読み勉強される方もおられ頭の上がらない思いがするほどなのですが、しかしそれらはなにかの正解を導いているわけでは決してなく、一つの可能性や考え方、見方を示していることがほとんどです。


こんなときにはこうしたら『治る』だとか、『正解』というものはとくに精神の世界では限りなく不可能に近い。


決まったやり方というのはなく、いろんな考え方、アプローチの仕方、便宜的に作られた基準などを”目安として利用”して、目の前にいる方、困っている方のニーズに合うような方法や道筋を考えていきます。


困っているとき、正解がないことは多く、誰かにとっての正解や成功は自分にとってあくまで参考です。


一般論や数値などはあくまで目安であり、それが目の前の困っている人に当てはまるかどうかは全く別です。


むしろ、それを当てはめてしまうことで、逆に苦しめてしまう恐れすらあります。


書いてある情報よりも、困っている人、あるいは自分は、なにに困っているのか、なにがどのように問題なのだろうか、そういったことをしっかりと観察していく中で、だんだんと道筋が見えてきます。


考えられる際には、一人で難しいときにはぜひ頼れる人を頼ってみてくださいね。


そして、私の今回の記事は、決して正解ではなく、ひとつの目安や参考として利用されることを提案します。

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